父から聞いた話 (山の中に落ちた飛行機) 4
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 機体を発見した一行はタイヤをはずしたり時計をはずしたりという、いわば『略奪行為』(おやじ、すまん)に狂奔してすっかり夕方近くになってしまい、その日は谷に降りて炭焼き小屋に一泊したそうです。翌朝里へ下り意気揚々と近所の人たちに自慢をしていたところ、何日かして米兵がジープに乗ってやってきてすべてを没収していったとのことでした。米軍の言い分として、「戦争終了と同時に日本軍の兵器はすべて米軍の制限下に置かれている。」てなことを言って没収していったそうです。持ち帰ったものは、まず航空タイヤ。これはゴムの薄い『低圧タイヤ』のようらしい。持ち帰って荷車に使っていたところを没収。次にジャイロコンパス。ばらして中のアルコールを飲んだそうです。なんだかなあ。父が背負って来たのがパラシュート。絹製で広げると部屋いっぱいになったそうです。何に使うつもりだったのかと聞くと「素人芝居の緞帳にしようと思っていた。」なるほど。それから航空時計。これはフロントパネルにあり、脱着式になっていたようです。時計屋に持っていって中を見てみると歯車の軸にはルビーかなにか赤い宝石のような石が使われていたそうです。よくわからないのですが、石の方が気圧の変化に影響をうけにくいのだそうです。(真偽のほどは不明)これを時計屋で懐中時計に仕立ててもらって仲間で交互に使っていたため米軍の没収を免れたらしいのですが、どの時代にも不注意な奴がいるもので、厩のわらの中に落としてしまい、ついに行方不明となってしまったそうです。そんなこんなですべて失ってしまったわけなのですが、父が就職して実家を出て数年して里帰りしたところ、庭先にエンジンのピストンだかシリンダーが転がっていたので、家を継いでいた父の兄に「あれは何か」と聞くと、父の兄は更にその後また飛行機のところまで行って、今度は地面に埋もれていたエンジンを掘り返して一部を持ってきたとのこと。私が「何のために持って来たのだろう」と父に聞くと「記念に持ってきたじゃねえかなあ。」…執念です。やはり米軍に没収された悔しさというか…もっとうがった見方をすると、陸と海の違いはあっても同じ空を飛ぶ軍人としての同朋愛のようなものがあったのかななどとも思います。ではなぜ略奪行為のようなことをしたかといわれちゃったらなんとも言えないのですが。
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