父から聞いた話 (山の中に落ちた飛行機) 1
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 小学生の頃、夕食時の晩酌で微醺を帯びた父がこんな話をしてくれました。「戦争中、昭和19年ころかなあ、小倉の山の中に飛行機が落ちてな、兄貴や近所の衆とその飛行機を探しに行ったことがあったんだよ。」
 小倉というのは九州の小倉ではなく、現在は長野県安曇野市三郷となっている旧小倉村(おぐらむら)、北アルプスのふもとにある寒村でした。
 で、その話のあらましですが、1回目は探し出すことができず、再度探しにいってようやく見つけることが出来たそうです。当時、あらゆる物資がない時代だったため、その飛行機についていた航空時計、主脚のタイヤ等をはずして持ち帰り、時計は懐中時計に、タイヤは荷車のタイヤに流用して使っていたところ官憲に知られるところとなり、全て没収されてしまったそうです。
 パイロットは乗っていなかったのかと幼い私が訊ねると、父はこともなげに「ひざから下の骨が土に埋まっていたなあ」と。私はその事実にすくんでしまい、「飛行機は怖いなあ、戦争はいやだなあ」などと考えるのみにとどまり、いつしか記憶の片隅にしまわれていました。


 ところが最近、子供に請われるままに旧軍の飛行機のプラモなどを作ったりするうちに「そういえば小倉の山の中に落ちた飛行機って何だったんだろ」と、気になりだしました。軍用機なのか、民間機なのか。さらに軍用機としたら海軍なのか陸軍なのか。またなぜ気流の不安定な山の中を飛んだのか、そしてなぜ墜落したのか。
などなど気になりだすといろいろな疑問が浮かびます。戦時中、松本平に空襲はほとんどなかったと聞いています。であればその飛行機は交戦して落ちたものではないだろうと思われます。また、当時飛行機はほとんど軍所有だったのではないかと思われ(むろん新聞社など例外はあるものの)万一民間機だったとしてもなぜそんな所を飛んでいたのかまったく不明です。
こうして私は『マッハの恐怖』の柳田邦男氏のようにこの事件?事故を調べてみようと思ったのです。
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