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父から聞いた話 (山の中に落ちた飛行機) 2
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まず、何をするべきか。迷った私はとりあえず父にもっと詳しくその話を聞いてみようと思いました。
早速一升携えると車で15分ほどの実家に向かいました。ほどよく酔った父に、「昔話してた小倉の山の中に飛行機が落ちた話なんだけどさあ…」と水を向けると、父は「ああ、その話か」と結構うれしそうに話し始めました。以下はその話の要約です。
まず、飛行機の落ちた場所は、旧小倉村と旧安曇村(上高地のある村)の境の山の中、『冷沢』(つめたざわ)から大滝山へ向かう尾根筋で、もうすぐそこに大滝山の頂上が見えている場所だったそうです。冷沢というのは標高1600mほどで、ここから大滝山を経由して、北アルプスの蝶ヶ岳や常念岳へ登ることが出来るそうです。私は登山はしないのですが、小倉の集落から車で林道を登り、里山の展望台に車を停めて、冷沢までクロスカントリーで何度か走って来たことがあります。まさしく山の中です。猿やら熊やらに遭ったこともありました。ともかく普通ならこんな山の上を飛行機が飛ぶ必要はあまりないようなところです。次に事故のあった時期ですが、これはどうもはっきりしなくて、とにかく戦争も末期じゃなかったかとのことでした。飛行機が落ちたのは戦争末期でしたが、父たちが捜索にいったのは終戦後、昭和22~23年頃だったようです。父たちが発見したときにはもう遺体はひざから下の骨が地面に埋まっていただけで大部分の骨は持ち帰られた後だったようです。つまり、父たちが飛行機を発見する前に、おそらく猟師か林業関係者が飛行機を発見し、骨を拾って埋葬したか里へ降りたかしたらしいのです。その人のした話がうわさとなって父の兄、つまり私の叔父の耳に入り、大体どの辺に落ちたか見当をつけて探しにいったとの事です。
 さて、飛行機の発見時の状況ですが、飛行機は尾根筋の斜面に垂直に突き立てたような状態で落ちていたそうです。機首を下に操縦席付近まで土に埋まり、可愛そうなことにパイロットは膝まで地面にめり込んだ状態だったそうです。むろん膝より上はもう遺骨収集されたあとなので残っていなかったのですが…墜落の激しさをうかがわせる話です。つまりパイロットは落下傘で脱出することもできぬまま、ものすごい急角度で墜落し、斜面に激突したということになります。
 「ところで、どんな飛行機だったのかな」と聞くと、「単発機だった。複座の練習機らしかったが、乗員は一人しか乗っていなかったようだ。」とのこと。さらに「兄貴の言うには陸軍機だということだ」と。叔父は予科練あがりで、朝鮮半島の海軍基地で一式陸攻のクルーとして訓練中に終戦を迎えたという人なので、飛行機を見ればある程度機種の同定はできたはずです。ちなみに、陸軍の単葉複座の練習機といえば、九九式高等練習機(キ55)というのがあります。(インターネットで今調べた) まあ、九九式高等練習機だったのかそれとも他の機種だったかは、当時15~6歳だった父には分からないだろうし、叔父も鬼籍に入っている今、確かめようがありません。
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