速度、上昇力を主眼に開発が急がれた14試局戦は、大直径の高出力エンジン『火星』を選定したため、どちらかというと細身でスッキリとした形状が主流の日本軍機としては異形のものとなった。同じようなコンセプトを持つ、中島製陸軍二式単座戦闘機『鍾馗』がやはり大直径のエンジンを装備しながら、頭部から尾部まで一直線に搾って精悍なスタイルでまとめたのに対して、三菱製『雷電』は紡錘形のいささかユーモラスなフォルムでデザインされた。これは両社の航空力学上の見解の相違で、中島が空気抵抗は表面積に左右されるとして極力胴体表面積を少なくすることで空気抵抗軽減を図ったのに対し、三菱側(掘越技士)は空気抵抗は機体のフォルムによって変わると考え、理論上抵抗の少ない紡錘形を選んだ結果であった。
どちらが正解だったのか、またどちらが戦闘機として成功したのかは簡単に判断できないが、両機とも日本機離れしたユニークなスタイルを持った点、戦後米国などの評価などから、日本では傑出したインターセプターであったといえる。
「日本のパイロットが全員これ(鍾馗)を乗りこなせれば日本空軍は世界一になる。」(メッサーシュミット社のテストパイロット、シュテアーがキ-44(鍾馗)に試乗しての発言)
★陸軍二式単座戦闘機『鍾馗』との比較