上:三菱製作所名古屋工場の疎開に伴い、長野県松本市神林に『閃電実験部隊』として展開した352空の閃電。同市は『烈風』の組み立て、ジェットエンジンの研究など終戦間際の先鋭的航空機と関りが深い。松代大本営との地理的関係を指摘する向きもある。
右:3機編隊で飛ぶ閃電。北アルプスを越え、日本海上空に達している。航続距離のテストか。
左:キャプションの通り、北アルプス上空を飛ぶ閃電。航空隊名を伏字にしてあるが、『閃電』自体が重要機密扱いなので、不許可となったと見られる。
下2枚:非常に珍しい写真。キャプションには単に「B2 9を迎撃」とのみあるが、撮影方法、カメラマン等一切不明。これらのアングルで撮影をするには閃電と同等以上の性能をもつ複座の航空機が必要と考えられるが、該当する機体は当時の日本にあったとは思えない。
計画、設計のみで日の目を見なかった機体たち。荒唐無稽。実力不足。あるいは時宜を得なかった。・・・など、様々な理由で空を飛べなかった機体は多数あります。今回、そんな不運な航空機の一つ、三菱乙戦『閃電』を作りました。作ってB29と絡ませて写真を撮ったのですが、なにかストーリーをでっちあげて世に晒すという当『情況劇場』の趣旨に沿わせようとして無い知恵を搾った結果、こんな形による表現となりました。当然、全ては架空の絵空事です。閃電は木型審査までで開発が中止されていますし、海軍352航空隊は長崎県大村にて終戦を迎えています。無論信濃朝報などという新聞社は実在しません。
ただし、烈風といえば旧軍機ファンの誰でもが思い出すであろうあの写真は、松本市神林の飛行場の格納庫で撮られたものらしいこと(※1)、松商学園で終戦直前ジェットエンジンの実験を陸軍がしていたという記述が北杜夫氏著「どくとるまんぼう青春記」の中に見られることを付記します。