南支の広東飛行場で九九式襲撃機による練成を終えた私は、昭和17年1月同機を輸送がてら、マレー作戦従事中の飛行第27戦隊第3中隊に赴任した。赴任早々中隊長より「明日より俺の2番機として出撃を命ずる」との示達がある。「いきなり2番機ですか」と尋ねると「今までの2番機は昨日敵により撃墜された」とのこと。あらためてここは最前線だと感じた。
翌日、黎明を期して出撃。機上にて離陸に移る一瞬、後席のS曹長に気取られぬよう、明けゆく空を眺めた。「充分な活躍ができるだろうか。そして再びこの飛行場に帰ってこられるだろうか。」私の期待と不安のないまぜになった心と裏腹にエンジンは快調な音を立てている。
中隊長機に遅れまいと離陸。目指すは彼我交戦中の最前線だ。高度を2000メートルに取り、敵戦闘機に対する見張りを行いながら南下する。過日撃墜された中隊長2番機は、ふいをついてあらわれた英国のバッファロー戦闘機によるものらしい。こちらは5 0kg爆弾4発搭載の身重だ。格闘になったらかなうわけがない。何も出来ないうちに戦死だけは御免と神に祈る気持ちである。
低空でジャングル上空を飛ぶ。事前情報ではそろそろ敵の砲兵陣地が見えるはずだが、巧みに擬装されていると見え発見が難しい。と、前を飛ぶ中隊長機が激しくバンクを振った。敵陣地発見の合図だ。前方を凝視すると、あったあった。こちらの発見とほぼ同時に敵も激しく対空砲火を撃ってくる。体中がカッと熱くなり度胸がすわった。離陸前に感じた不安は一挙に消し飛び、必殺の気持ちが体を満たす。潮合いだ。
中隊長機に続き急降下に入り、4発搭載した50kg爆弾を一発ずつ丹念に敵陣に叩き込む。敵砲兵が纂を乱して逃げ惑うのが見える。続いて超低空でのトップ銃(翼内機銃)射撃に移る。なんたる快!襲撃機の軽快な運動性能はまさに驚異的だ。どんな無理な操縦でもうまくこなしてくれる。後席のS曹長は、たて続けに襲ってくるGで大変であろう。
余談だが、浜松飛行学校で行われた飛行テストで九七式戦闘機と模擬格闘戦をした九九式襲撃機は、低空域においては容易に九七戦に後ろを取らせなかったそうである。格闘戦のために生まれてきたような九七戦が相手である。いかに九九式襲撃機の操縦性能が優れているか分かろうというものである。
しかしこの機体の欠点は、足(航続距離)が短いことと爆弾搭載量の少なさだ。残念ながら燃料も心もとなくなってきた。ここはひとまず退散と、中隊長機にならい後続に舞台を譲り進路反転帰途につく。
基地に戻り補給を受け、厠に行く間もおしみつつ反復して出撃すること3回、ようやく夕暮れが迫ってきた。今日はここまでと帰投する。長い一日だったが、私はS曹長とともに生きてまたこの飛行場にもどってくることが出来たのだ。機内でS曹長がねぎらいの言葉をかけてくれた。
「少尉殿、緒戦で生き残れれば1ヶ月は大丈夫ですよ」